小説の書き方講座

小説の書き方講座 その1「小説ってどうやって書くの?」

どーも、やぎさんです。

今回は、「小説を書きたい!でもどうやって書けばいいの?」とお悩みの方へ、私がやっている書き方を解説していく「小説の書き方講座」の第一回目です。

もちろん、「小説」と一口に言っても多種多様ですので、どんなパターンにも当てはまるというわけではありません。

あくまで「私のやり方を説明する」という内容になっていますので、意見の相違もあるかと思います。

そのへんは適宜、自分でアレンジしていって頂ければと思います。

小説が上手くなるコツ

まずは、ものすごく基本的なお話になります。

あなたは何故、「小説を書こう」と思ったのでしょうか。

「自分の妄想や世界観を表現したい」

「漫画が描けないから小説で!」(同人誌制作の方に多いかな?)

「友達が書いていて、自分も書いて話題に加わりたい」

「部活動で…」

他にも色々と動機はあると思います。

しかしこの記事を見つけて下さったということは、きっと「上手くなりたい!」と考えているんですよね。

なので、まずは、文章力がどうとか以前に、

「書く時に意識すべきこと」

を伝えていきます。

小説=芸術・創作活動・表現であるということを意識する

世の中には文字が溢れていますが、その中でも小説は「表現」という「芸術」です。

絵に例えてみると分かりやすいですが、絵のタッチは様々ですよね。

こう言っては何ですが、ものすごく高名な画家の絵を見ても「こんなん自分でも描けるわ…何でこんなのが何億もするんだろう?」とか思ったことありません?

芸術の醍醐味や難しいところって、そこなんですよね。

自分で「よっしゃ!!傑作!!」と思っても、あんまり評価されなかったり、適当に書いたものが急にもてはやされたりします。

自分の表現に、いきなりケチをつけてくる人もいます。

こういっては身も蓋もありませんが、ものすごく「好き嫌い」が評価基準を持つ世界だと考えて下さい。

批評をする方々は一定の基準で評価をつけますが、読み手の大半が「好き嫌い」で評価しています。

あなたの表現を「好き!!!」と言ってくれる方もいれば、「大嫌い!!!」と言ってくる奴もいるでしょう。

それが普通です。

1つだけ、まずしっかり意識して欲しいのは、

「芸術・表現は自由である」

ということです。

日本語で描かれる表現には、「表現の自由」があります。

ぶっちゃけ、何を書いてもいいんです。

ただ、そこで気を付けるべきことは、

「法律で表現の自由は保障されているけれど、あなたのした表現に関してファンになる・好きだと言う・批判する・バッシングする・社会的制裁をするのもまた、全て受け取り手の自由である」

ということです。表現の自由は、あなたにだけ許されているわけではありません。

何を書いてもいい、別にパクって書いたっていいんですよ。

ただ、それに対して「パクリだ!」「最低!」と批判する権利もまた、受け取り手には許されているということです。

あと、パクられた人には「著作権侵害だから訴えるね」と、訴訟してお金をとる権利もあります。

小説には読み手がいる=読者を意識して書く

最初に少し怖い話をしましたが、要は「芸術は受け取り手の評価で決まるもの」だということをしっかりと意識しましょう。

文学の世界には、「作家論」と「作品論」というものがあります。

作家論とは、簡単にいえば「作品は、作者が書いた時点で完成する」というものです。

作品論とは、簡単にいえば「作品は、読者に読まれた時点で完成する」というもの。

私は「作品論」を推しています。

だって、書いた時点で完成なら、小説を上手く書く必要はないんですよ。読者がいないということは、作者自身も読み返さないってことなので。

「自己満足」も芸術では大事なものなのですが…

あなたが「小説を書くのが上手くなりたい!」と思ってこの記事を読んでいるのであれば、「読者を意識したもの」を書いていく必要があります。

分かりやすい表現を心がけて書く

こちらに関しては、もはや「作風」に関わることなので、実践するかしないかはお好みでお願いします。

「小説は読者を意識して書くもの」という点において、最良の小説は「読みやすい」ということです。

これは「読者層をどこに設定するか?」という、ちょっと上級向けの話も絡んでくるのですが、とても分かりやすく例えると、

「漢字変換を極限まで行った小説を、小学生が読めるか?」

ということです。

小説書きを志す若い人は、この傾向がよくあるようなのですが、変換出来る部分を全て漢字にしてしまうんですよね。

他には、わざと難しい表現を使っちゃったりします。

これらを「作風」として絶対に伸ばしていきたい!という方は、特に問題ありません。

この「変換が出来るところは全部漢字」「難しい単語や表現を使う」に関しての問題点は、「没入感が損なわれる」という点です。

表現が完成されている作家先生は、それが世界観の1つです。他の表現にも工夫をされていて、世界観を壊すことがないので、難読漢字が並んでいても、読者はその世界に没入することが出来ます。

しかし、文章や表現自体が拙いにも関わらず、文章を読む時に読者を詰まらせるのは、途中で読者を醒めさせ、読むのを放棄させかねません。

「表現が拙い」というのは、文章力ではなく、あくまで表現のお話です。

昔、某掲示板で見た批判の1つを一例に挙げます。

「お前…●●(美人で有名な女優さん)に似てるな…」

…って、戦国武将は●●(美人で有名な女優さん)知らねえだろうが!

醒めるんだよ!!

私は腹筋が崩壊しました。

地の文の視点を揃えて書く

これはちょっと中級者向けですが、出来れば最初から意識して欲しいので、書いておきます。

小説の視点は、まあ一人称とか二人称とか三人称とか、細かい呼び方は色々あるのですが、書く人によって全然違う上に、特に統一されていません。

こちらも意識することは、「読者を混乱させない地の文を書く」ということです。

例えば一人称は「僕は」「俺は」「私は」という、主に主人公視点で地の文が描かれるのですが、主人公の知らない事実を書けないという縛りがあります。

主人公と進んでいく冒険譚であったり、私が知っているのは「実は語り部である一人称の人が犯人だった」という仕掛けがあるミステリだったりしますが、全てが語り部視点なので、考えていること(モノローグ)を地の文に入れやすいという利点があります。

ただしこの「語り部」が、急に違う人に変わったり(章ごとに変わるのはOK)、相手の心の中まで読めると、読者は混乱します。

次によく使われるのは三人称、いわゆる神視点というものです。

これは「全ての事実を知っている、いわば作者の観点から物語を紡ぐ」という感じになりますが、地の文を大量に書かなくてはいけなくなりますし、厳密な三人称にすると、考えていること(モノローグ)を地の文に全く入れることが出来なくなります。

群像劇のようなものを描くのであれば別ですが、書き手としては非常に書きにくいです。

そのため私は、基本的に「三人称で描きつつも、主人公の視点に沿って物語を進める」という地の文を書いています。

物語自体に何か仕掛けがある時は地の文を変えますが、あまり小説を書いたことのない方は、まずは数作、「視点」を決めて書いていくことをオススメします。

数作書いて欲しいのは、書けば自分に合う・合わないが分かるからです。

小説の書き方講座:第一回まとめ

いかがでしょうか。

初心者は小難しいことを言われても分からないと思いますので、ちょっとふわふわした表現になりましたが、言いたいことは1つ、

「読者がいることを意識して書く」

ということです。

「読者」とは「大勢のファンや大衆」でありつつも、「1人1人の人間」ということを意識して下さい。

次は文章力のお話を書きます。よろしくお願いします。